ペン習字でアタリをつけて清書する是非について

ペン習字で使用する鉛筆は、補助線や中心線を引く上で欠かせない影の立役者のような存在です。

きれいな字を書くための参謀となり、ともすればペン習字の主役の座を奪わんとする文房具であります。

ペン習字で下書きってアリなの?

もっとも大事なのは、補助線に頼らずとも首尾よく書けることです。しかし、何年練習してもそれが難しいわけで。

過去に、文字を配置する中心線を消し忘れたまま課題を提出した際に、講評欄で「下書きの痕が残らないよう、きれいに消しましょう」と注意されました。

下書き自体が推奨されないグレーゾーンですが、その中でさらに線引きするなら、

  • トレース(紙の上から手本をなぞり書きする)
  • 文字を下書きして清書する。

これらはアウトな行為です。日頃の成果を発揮する場面であるのにその主旨から外れてしまいます。

では、中心線や丸を書いて字配りのアタリをつけるのはどうかというと、今までに先生からたしなめられた経験から踏まえて、たぶんアリなのだと思います。

ペン習字の目的と役立つ場面から考える

ペン習字は、実生活できれいな字を書くことを目的とした習い事です。書道とは学習の方向性が少し異なり、特に読みやすさに比重を置いています。

ペン習字を習ったとして、日常のどんな場面でどれだけの活躍を見せるかというと、それはおそらく「筆跡によって人柄の善し悪しを判断されかねない、ここぞという状況下」です。

たとえば、

  • 履歴書
  • 願書
  • お礼状

などが当てはまり、「失敗は許されないけれど、時間的な余裕はある」といった条件下で書く文字がうまくなるので、冷や汗をかくような場面をしのげます。

時間をたっぷり使えるなら下書きをしない手はありません。いっそのこと、いちから鉛筆で文字を書き起こして、その上から清書するほうが堅実です。

完成度を追求するなら、そのくらい手間をかけないときれいに書けないのです。ペン字初学者なら尚の事です。

でも、そういうことばかりしていると、いつまで経っても次のステージに進めません。

日常で文字を書く場面は他にもいろいろあります。

  • 板書された内容をノートにまとめる。
  • 子供の連絡帳で交わす先生とのやり取り。
  • 送り状に宛名を書く。

例を挙げると切りがありませんが、ペン習字はそのすべての場面を範疇としています。

下書きする労力に見合わない書き方の方がよほど多く、理想とするのは、下書きなしで布置よく読みやすい字が書けることです。

ですが、技術の進歩には段階がありますから、上達を促す方法として中心線やアタリをつける行為は半ば黙認されているのではないかと思います。

ペン習字でアタリをつける行為について、個人的な見解としては、「下書きに頼らざるを得ないときは手際よく書き終え、目視のみで首尾よく書けることを理想として、日々の練習に励む」といった視点に落ち着いています。

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コメント

  1. 祥南 より:

    >目視のみで首尾よく書けることを理想として、
    >日々の練習に励む

    ハガキなど罫線の引かれていない真っ新の紙面に
    体裁良く書くのは難しいですね。
    鉛筆などで補助線を書く方法も考えられますが、
    文章の内容による疎密など杓子定規に ゆかない
    現実があります。

    孫過庭の「書譜」は、紙に折り目がつけられて
    いて、筆跡を仔細に観察しますと、必ずしも
    中心線に拘っていないことが判り、微妙な調整を
    施しています。

    清書に先立って草稿を書いてみて、全体の構成を
    考え、体裁を整えるのが常道です。

    でも王羲之の蘭亭序は、ほろ酔い気分で書いた
    草稿を、何度も書き直した清書が越えることは
    なかったと伝わります。

    小野道風の屏風土台も清書する前の下書きが
    名筆として現在に伝わり、清書された屏風は
    失われています。

    ご案内のように、やはり日々の錬成を積む
    ことが王道でしょうね。

  2. uta より:

    蘭亭序の逸話は有名ですね。
    古典は含蓄の塊ですからペン習字の方面でも役に立つ発見がたくさんありそうです。
     

    ハガキのような無地に体裁よく書くのは本当に難しいです。
    これから年賀状の季節に入りますから、手書き派の人は大変な思いをしそうです。