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書道史のおさらい

自分用チラシの裏。書写検定に対応した書道史をまとめておきます。

目次

はじめに

硬筆書写検定の1級、準1級では、第9問に書道史の問題が出題されます。

硬筆書写検定 第9問

ここ数年の傾向として、上記のような筆者名と作品名の関係を問う形式の問題が多く出題されているようです。

作品とその筆者名の関係をまとめてみました。

書写検定で取り扱う範囲

本題に入る前に、年表で大まかに出題範囲の時代を把握しておきます。

書道史

中国史では、

  • 南北朝(東晋・北魏)

日本史では、

  • 飛鳥
  • 奈良
  • 平安

の時代が主な範囲となります。長い歴史からみれば、範囲自体は狭いのですが、書道史においては最も重要かつ濃厚な場面です。楷書、行書、草書が生まれたのもこの辺りです。

ではまず、中国史から。

中国人の人名と作品名

時代人物作品名書体
東晋王羲之楽毅論(がっきろん)楷書
東方朔画賛(とうほうさくがさん)
黄庭経(こうていきょう)
孝女曹娥碑(こうじょそうがひ)
蘭亭序(らんていじょ)行書
集字聖教序(しゅうじしょうぎょうじょ)
喪乱帖(そうらんじょう)
孔侍中帖(こうじちゅうじょう)
十七帖(じゅうしちじょう)草書
王献之中秋帖(ちゅうしゅうじょう)草書
北魏鄭道昭鄭文公下碑(ていぶんこうかひ)楷書
論経書詩(ろんけいしょし)
智永真草千字文(しんそうせんじもん)楷・草
太宗晋祠銘(しんしめい)行書
温泉銘(おんせんめい)
欧陽詢九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)楷書
皇甫誕碑(こうほたんひ)
化度寺碑(けどじひ)
温彦博碑(おんげんはくひ)
虞世南孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)楷書
チョ遂良孟法師碑(もうほうしひ)楷書
雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)
枯樹賦(こじゅふ)行書
哀冊(あいさく)
顔真卿多宝塔碑(たほうとうひ)楷書
麻姑仙壇記(まこせんだき)
顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)
建中告身帖 (けんちゅうこくしんじょう )
祭姪文稿(さいてつぶんこう)行書
祭伯文稿(さいはくぶんこう)
争座位帖(そうざいじょう)
孫過庭書譜(しょふ)草書
賀知章孝経(こうきょう)
懐素自叙帖(じじょじょう)草書

東晋(とうしん)時代

王羲之(おうぎし)

書聖(書の神様)と言われ、書道史の上では最も重要な人。名門出身の役人。唐の太宗皇帝が彼の書をコレクションし、皇帝の死後は墓と共に埋葬されたため、現存する肉筆はない。

楷書
楽毅論(がっきろん)
王羲之の小楷(小さい字の楷書)では、いちばんとされるもの。
東方朔画賛(とうほうさくがさん)
滑稽な話しぶりで有名な東方朔の画賛(絵の余白などに書き添える詩文)として書いたもの。
黄庭経(こうていきょう)
老子という人物が、不老長寿の秘訣を記したもの。時代の流れと共に紛失し、現存するのは王羲之が模刻したものだけ。
孝女曹娥碑(こうじょそうがひ)
孝女曹娥の父が水死し、その屍を求めて自らも投身した事跡を表彰したもの。
行書
蘭亭序(らんていじょ)
王羲之が蘭亭という場所で宴を開き、その時に作られた詩集の序文。書道史上最も有名な書作品。
集字聖教序(しゅうじしょうぎょうじょ)
懐仁(えにん)という名の僧が、聖教序という文に使われている字を王羲之が書いた作品の中から寄せ集めて、つぎはぎしたもの。
喪乱帖(そうらんじょう)
王羲之の手紙の断片を集めたもの。
孔侍中帖(こうじちゅうじょう)
哀禍帖 (あいかじょう)、憂懸帖 (ゆうけんじょう)の三帖から成るもの。王羲之の書風を推し測るのに最も信憑性の高い資料。
草書
十七帖(じゅうしちじょう)
唐の太宗が所蔵していた王羲之の手紙29通を集めて一巻としたもの。法帖の冒頭に「十七日…」とあることが、この名の由来。

王献之(おうけんし)

王羲之(おうぎし)の第七子。最年少でありながら書の天分に恵まれ、父と並ぶ書家として知られる。王羲之を大王。子の献之を小王といい、二人を合わせて二王という。

草書
中秋帖(ちゅうしゅうじょう)
三行二十二字の書簡。

北魏(ほくぎ)時代

鄭道昭(ていどうしょう)

北朝で発達した楷書の名手であり、鄭文公碑の作者として有名。

楷書
鄭文公下碑(ていぶんこうかひ)
父鄭文公の業績を後世に伝えるために書かれたもの。掘ったものは石碑ではなく、岩山の崖。上碑は激しい摩滅のためにほとんど字が読めず、石質の良い下碑が広く知られている。
論経書詩(ろんけいしょし)
鄭道昭が自作した詩を岩山に刻んだもの。

随(ずい)時代

智永(ちえい)

王羲之の子孫にあたる僧。

楷書・草書
真草千字文(しんそうせんじもん)
楷書と草書を一行ずつ並べたもの。真草とは、真書(楷書)と草書の2つの書体のこと。

唐(とう)時代

太宗(たいそう)

唐の第2代皇帝。王羲之の書を愛好し、自身も書を学んだ。

行書
晋祠銘(しんしめい)
大宗が天下統一を果たした時に、神霊に感謝する文を自ら撰書したもの。行書の碑の中で最も古い。
温泉銘(おんせんめい)
大宗がたびたび赴いた驪山(りざん)という温泉の霊効や風物を叙した文を碑にしたもの。

欧陽詢(おうようじゅん)

王羲之の書を学び、ことに楷書に秀でた書家。背が低く容貌が醜かったが人並み優れて聡明だった。初唐の三大家。

楷書
九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)
「九成宮」という宮殿に太宗皇帝が赴いた際、たまたま甘味のある泉(醴泉)が湧きだした。これを縁起のよい前兆とし、欧陽詢が勅命を受けて書いたのが「九成宮醴泉銘」。
皇甫誕碑(こうほたんひ)
隋朝に仕え、誠実でりっぱな人であった皇甫誕のことを後世に伝えるために建てられた碑。
化度寺碑(けどじひ)
仏教の一派の名僧、化度寺のヨウ禅師(ようぜんじ)を葬った舎利塔の銘文。
温彦博碑(おんげんはくひ)
太宗に仕えた温彦博という人物の碑。

虞世南(ぐせいなん)

太宗に仕え、その学識・人格を愛され秘書監に至る。初唐の三大家の一人。

楷書
孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)
唐の太宗が文教復興の第一歩として、孔子廟を再建することを命じ、虞世南はその勅命によって記念の碑を書した。

チョ遂良(ちょすいりょう)

初唐の三大家の中では最も後輩。

楷書
孟法師碑(もうほうしひ)
孟法師は97歳で死んだ女道士。死んで4年後に弟子等とチョ遂良によって建てられたのが本碑。
雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)
玄奘(三蔵法師が)苦難の末持ち帰った仏典を広めた功績を讃えたもの。
行書
枯樹賦(こじゅふ)
庭の樹木の衰枯を見て人生の無情を嘆き自らの身を悲しむという内容。
哀冊(あいさく)
唐の太宗の崩御を悼んだ文。哀冊とは天子や皇后の崩御ののちに、生前の功徳を讃える文章のこと。

顔真卿(がんしんけい)

王羲之と双璧をなす書の大家。政治家としても活躍したが、晩年は不遇の生活を送った。

楷書
多宝塔碑(たほうとうひ)
真卿44歳のときの楷書。
麻姑仙壇記(まこせんだき)
道教の女仙麻姑の話や麻姑山の仙壇について記したもの。
顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)
顔家の先祖及び家族の仕官経歴、学問や功績などを記した碑。
建中告身帖 (けんちゅうこくしんじょう )
顔真卿が太子少師(皇太子の教育を掌る官)の官を授けられた時の辞令。
行書
祭姪文稿(さいてつぶんこう)
戦で殺害された姪の霊を祭った時の祭文の草稿。
祭伯文稿(さいはくぶんこう)
争座位帖(そうざいじょう)
集会で席次を乱した者に対する抗議文の草稿。

孫過庭(そんかてい)

40歳ごろに任官したものの、ざん言にあって退き、貧困と病苦のなかで一生を終える。

草書
書譜(しょふ)
孫過庭が自ら著した書論。

賀知章(かちしょう)

唐時代の詩人、書家。

草書
孝経(こうきょう)
中国の経典を草書で書いたもの。

懐素(かいそ)

唐時代の僧、書家。

草書
自叙帖(じじょじょう)
懐素自身の学書の経歴を書き記した自己宣伝文。

日本人の人名と作品名

時代人物作品名
飛鳥時代聖徳太子法華義疏(ほっけぎしょ)
奈良時代聖武天皇雑集(ざっしゅう)
光明皇后楽毅論(がっきろん)
杜家立成雑書要略(とかりっせいざっしょようりゃく)
平安時代最澄久隔帖(きゅうかくじょう)
嵯峨天皇光定戒牒(こうじょうかいちょう)
空海風信帖(ふうしんじょう)
灌頂記(かんじょうき)
三十帖冊子(さんじゅうじょうさっし)
請来目録(しょうらいもくろく)
伝橘逸勢伊都内親王願文(いとうないしんのうがんもん)
小野道風屏風土代(びょうぶどだい)
玉泉帖(ぎょくせんじょう)
継色紙(つぎしきし)
秋萩帖(あきはぎじょう)
三体白氏詩巻(さんたいはくらくてんしかん)
藤原佐理詩懐紙(しかいし)
離洛帖(りらくじょう)
藤原行成
白楽天詩巻(はくらくてんしかん)
升色紙(ますしきし)

飛鳥時代

聖徳太子(しょうとくたいし)

飛鳥時代の皇族。政治家。

法華義疏(ほっけぎしょ)
聖徳太子の自筆。日本人が書いた肉筆の中で最古の書物。

奈良時代

聖武天皇(しょうむてんのう)

奈良時代の第45代天皇。

雑集(ざっしゅう)
聖武天皇が31歳のときの写経。

光明皇后(こうみょうこうごう)

聖武天皇の皇后。

楽毅論(がっきろん)
王羲之の楽毅論を臨書したもの。
杜家立成雑書要略(とかりっせいざっしょようりゃく)
光明皇后が自分の書風で書いたもの。

平安時代

最澄(さいちょう)

平安時代の僧。天台宗を伝え、比叡山を開いた人。

久隔帖(きゅうかくじょう)
最澄が47歳のとき、空海のもとにいた泰範に送った手紙。冒頭は「久隔清音・・・」と始まる。

嵯峨天皇(さがてんのう)

第52代天皇。三筆の一人。

光定戒牒(こうじょうかいちょう)
最澄の弟子光定が、延暦寺で菩薩戒を受けた時の証明書。

空海(くうかい)

平安時代初期の僧。弘法大師の名で著名な真言宗の開祖。三筆の一人。

風信帖(ふうしんじょう)
最澄に宛てた手紙3通を1巻にまとめたもの。
灌頂記(かんじょうき)
灌頂という仏教の儀式を受けた人の名などを書き連ねたもの。
三十帖冊子(さんじゅうじょうさっし)
空海が唐から持ち帰った写経の小冊子30冊で、一部に空海自筆を含む。
請来目録(しょうらいもくろく)
空海が唐から帰朝の際に持ち帰った書物の目録。

伝橘逸勢(たちばなのはやなり)

平安時代の書家・官人。遣唐使に随行して、空海とともに唐に留学。三筆の一人。

伊都内親王願文(いとうないしんのうがんもん)
伊都内親王が山階寺に田地などを寄進されたときの願文を橘逸勢が代筆したもの。伊都内親王とは桓武天皇の皇女。

小野道風(おののみちかぜ)

平安時代の貴族・能書家。中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた三跡の一人。(和様=やわらかい優雅な感じのする書きぶり)

屏風土代(びょうぶどだい)
びょうぶに漢詩を下書きしたもの。
玉泉帖(ぎょくせんじょう)
『白氏文集』の詩を道風が興に乗じて書いた巻子本。巻首が「玉泉南澗花奇怪」の句で始まる。
継色紙(つぎしきし)
『万葉集』と『古今和歌集』から、四季・恋・賀の歌を書き写したした粘葉装(でっちょうそう)冊子本の文書の切れはし。
秋萩帖(あきはぎじょう)
万葉集などの和歌48首を草書体の万葉仮名で書いたもの。巻末部分には王羲之書状の臨書がある。
三体白氏詩巻(さんたいはくらくてんしかん)
『白氏文集』を楷行草の各書体で揮毫したもの。

藤原佐理(ふじわらのすけまさ)

平安中期の能書家、公卿。三跡の一人。現存する消息(手紙)には、言い訳、詫びの内容のものが多い。少しだらしのない人だったとか。

詩懐紙(しかいし)
「懐紙」とは和歌・連歌・俳諧などを正式に書き記す際に用いる紙。平安時代の詩懐紙として現存唯一の貴重な作品。
離洛帖(りらくじょう)
正暦2年(991)に京都を離れて太宰府に赴任する際、藤原誠信(ふじわらさねのぶ)に宛てて書き綴った手紙。その内容は、当時摂政だった藤原道隆に赴任の挨拶を忘れたので、道隆のいとこに当たる誠信を通して詫びるというもの。

藤原行成(ふじわらのゆきなり)

平安時代中期の廷臣。時の権力者藤原道長に信任され、蔵人頭(天皇の首席秘書のようなもの)として活躍した。三跡の一人。

白楽天詩巻(はくらくてんしかん)
当時、平安貴族の間で愛好された白居易の『白氏文集』を書写したもの。
升色紙(ますしきし)
清原深養父(ふかやぶ)の歌集を書写した色紙。升形の紙であることから升色紙と名付けられた。