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終戦6年後のペン習字雑誌から見る当時の時代背景

今やどの図書館にも配備されている蔵書検索PC。その検索キーワードに「ペン習字」と入力すると、戦後間もない頃の刊行物を発見しました。今回は、今から60年以上前に発刊された『ぺんらいふ』というペン習字雑誌を紹介しながら当時の時代背景を探ってみます。

もくじ

  1. 表紙と背表紙から分かる当時の物価
  2. 母国語のローマ字化を防いだ日本人の識字率
  3. 国民性が表れる?カリグラフィのような英字
  4. 担任する2人の先生 見覚えのある名前
  5. 毛筆の上手さに依存しないペン習字
  6. おわりに – 編集後記

1. 表紙と背表紙から分かる当時の物価

『ぺんらいふ』表紙

「日本ペン字学会」が発刊した初学者向けの月刊誌が『ぺんらいふ』です。A5判、全50ページ程度のいわば競書誌みたいなもので、書道史や手紙の書き方などためになる読み物が多めでした。

『ぺんらいふ』背表紙

背表紙には『ぺんらいふ』の発刊年や誌代が記載されています。戦後復興期にあたる戦後6年の世情について少し調べてみました。

発刊年である1951年(昭和26年)。この頃になると、朝鮮戦争の貿易特需によりスタグフレーションが解消され、貧しいながらもほぼ正常な社会に回復していきます。本格的な戦後復興期への突入です。後楽園で初のナイターが行われたり、ビヤホールも解禁となり各地が復興し始めた時期です。

背表紙には一ヶ月分の誌代が50円とあります。アンパンが10円で手に入った時代の中(教員の初任給が5,050円)、この50円は現代でいくらになるのでしょうか。調べてみると。

消費者物価は、1951年(昭和26年)から2008年(平成20年)のあいだに約7倍となっています。単純計算すると、当時の50円の品物は現代の350円相当です。毎月の誌代が350円だとすれば、なかなか良心的な価格ではないでしょうか。ペン習字が多くの人に開かれた習い事であることが伺えます。

2. 母国語のローマ字化を防いだ日本人の識字率

戦後の日本教育は「アメリカ教育使節団報告書」の勧告に基づいて行なわれましたが、唯一、実現されなかったのが「日本語のローマ字化」です。

1945(昭和20)年、大東亜戦争に敗れた日本はGHQ指導のもと、日本の民主化を推進するという名目で国語教育における漢字の学習を廃止し、最終的に日本語をローマ字で表記するという計画がありました。

というのも、戦時中、降伏を拒否し、自決する日本兵を見たアメリカ人はこのような所感を述べていました。

日本人は間違った情報を伝えられていて、正しい情報を得ていないに違いない。なぜなら、新聞などがあのように難しい漢字を使って書いてある。あれが民衆に読めるはずはない。事実を知らないから、あんな死に物狂いの戦い方をするのだ。だから、日本に民主主義を行き渡らせるには、情報をきちんと与えなければいけない。そのためには漢字という悪魔の文字を使わせておいてはいけない。

引用元:『日本語の教室』 大野晋 岩波新書(2002年)

つまり、26文字のアルファベットで生活してきた人からすると、日本語はひらがな、カタカナ、漢字とあまりにも複雑で一部の有識者しか扱えず、字が読めないであろう多くの日本人を誤った方向へ導いたに違いないと考えていたのです。

また、日本国内の新聞社や一部の有識者の間でも「漢字を廃止してローマ字に」「フランス語を日本の公用語にせよ」といった論調が飛び交っていました1。まさに日本が錯乱していた時期です。

そこで、GHQの民間情報教育局(CIE)は「日本語のローマ字化」を実行するにあたり、日本人がどれくらい漢字の読み書きができるか調査を行いました2。15歳~64歳の1万7千百人を対象に日本語のテストをさせたところ、なんとその識字率は97.9%と、大多数の日本国民が識字能力を有していたのです。

CIEは日本の教育水準の質に感嘆し、「日本人の識字率の高さが証明された」との判断が大勢を占めました。また、ローマ字化推進論者のホール少佐が他のポストに移されたことも影響してか、日本語をローマ字化するもくろみは途絶えたのです。

このような識字率の高さは昭和に始まったことではなく、さかのぼって江戸時代の幕末期では、武士階級のほぼ100%が読み書きができたと考えられています。また、庶民のあいだで自然発生した“寺子屋”では習字が最も重要な科目でした。

日本が敗戦から復興できた理由は、朝鮮戦争の特需以外にも教育水準の高さが影響しているのでしょうね。

3. 国民性が表れる?カリグラフィのような英字

GHQ指導のもと、日本の教育分野は更なる改革を迫られます。英語教育の導入です。指導の手引きとして、筆記体の習得も定められたのですが。

『ぺんらいふ』p.49

アルファベット使用圏の人たちが「分かればいい」程度に文字を覚えるのに対して、日本人の性かな、さながらカリグラフィのような美しい字体にまで研究・手本化しています。文字の形にここまでこだわるのは、字の美しさを美徳とする日本人がなせる熱意なのでしょう。

『ぺんらいふ』の発刊にあたっては、全国各地の中学校、高等学校、銀行会社、官庁などから多大な反響があったようで、特に「英習字の教え方」は人気を博し、別途『英習字講座』が発行するまでに至りました。

敗戦してから間もないにも関わらず、かつての敵対国の言語や技術を積極的に取り入れる日本人。その姿勢が後に飛躍的な経済成長へと繋がり「東洋の奇跡」とまで言われるようになった所以かもしれません。

アメリカ、欧巴羅を風靡している実用字体は、やがて我が国にも大きな影響を及ぼすに違いありません。私たちは世界の趨勢に遅れることのないよう、進んでこの実用字体を練習致すべきであります。

引用元:『ぺんらいふ』 – p37 日本ペン字学会(1951年)

4. 担任する2人の先生 見覚えのある名前

さて、そろそろ本誌を見ていくことにします。もくじと共に掲載されているのが先生方の顔写真です。そのうち1人の先生の名前に見覚えがありますよ。この方は…。

『ぺんらいふ』もくじ

パイロットペン習字B系統のまさに原点、鷹見芝香先生じゃないですか。これはびっくりしました。ははーん。こんな巡りあわせもあるんですねー。

もくじを見るとペン習字での臨書にも力を入れていますね。

『ぺんらいふ』p.8

先生が提唱されている『古典による正統的な学びを重ねて、読み易く親しみ易い表現』を目指された活動がここに残されています。

『ぺんらいふ』p.1

やわらかく温かみのあるような優しい字です。私はA系統を習っているので、鷹見芝香先生の著書は手元にないのですが、どれも絶版になっているようです。

鷹見芝香先生が培ってきた技術は門下生へと継承され、現在は「芝風会」という団体がその役割を担っています。『ペン時代』と呼ばれる競書誌が出ていますので、興味が有る方は(有)ペン時代社まで問い合わせてみてください。

電話
045-960-3713
FAX
05-960-3714

『ぺんらいふ』p.5

こちらは藤田讃陽先生が書かれた三体の手本。どうだろう、C系統(狩田巻山先生流派)にも近い雰囲気を感じるのですが、その流れとは無関係なのかな。

『ぺんらいふ』p.6

当時の年賀状にもお年玉くじってあったのですね。郵便番号はまだなかった時代?

『ぺんらいふ』p.30

誌友作品でいちばん好きな字は、この方が書かれたものでした。どうやら私は男性らしい転折がはっきりしたメリハリのある字が好みらしい。

5. 毛筆の上手さに依存しないペン習字

以前から薄々と気づいていたことについて。

従来の人々は、毛筆でよく書を練習すれば、ペン字は特別に練習しなくても書けるものであると云う様に云われているが私は決してそうは思わない。それは毛筆と硬筆はその性能が違つているからである。即ち毛筆は毛で作つたものであり、ペンは金属で作つたものである。毛筆は非常に弾力性に富み毛筆によつて書いた字は、線の変化があり、芸術的に美しさの豊かなものであるがこれと比べるとペン字は線が単純で、毛筆と同様な美しさを出すことは仲々容易なことではない。

引用元:『ぺんらいふ』 – p18 日本ペン字学会(1951年)

毛筆の技術がそのままペン習字に反映されるわけではない、と説いています。扱う道具が異なれば、使いこなすための技術も別途必要になってくるのでしょう。この辺は実際に経験してみるとよく分かると思います。たとえば、ペン習字の延長で筆ペンを始めてみたとき、なかなか思うように書けない場合とか。

この時代にはまだペン習字専門の指導機関は生まれていなかったようで、硬筆技術の地位は毛筆と比べて劣っており、『ぺんらいふ』をきっかけに確立されていったことが伺えます。

これに反して、ペン書道は、日常の家庭生活においても、社会生活においても、広く公私を通じて、実用化され、生活と切り離すことができないものとなつて来た。しかし、ペン書道がかくまで生活化されてきたにも拘わらず、その研究、指導が一向に顧みられないのは、どうしたことであろうか。

引用元:『ぺんらいふ』 – p17 日本ペン字学会(1951年)

6. おわりに – 編集後記

『ぺんらいふ』編集後記

国内で始めて発売されたペン習字雑誌を手に取ってみたわけですが、経年劣化がひどく、本綴じに使用されたホッチキスの針は赤サビにまみれていました。この『ぺんらいふ』は創刊号のみ蔵書されていたため、いったい第何号まで存続していたのか、今となっては知る由もありません。しかし、当時マイナーであったペン習字という教養の波及に強く貢献したのは間違いないでしょう。

  1. 1946年(昭和21年)4月、志賀直哉は雑誌『改造』に「国語問題」を発表し、「日本語を廃止して、世界中で一番美しい言語であるフランス語を採用することにしたらどうか」という旨の提案をした。また11月12日、読売報知(今の読売新聞)は「漢字を廃止せよ」と題された社説を掲載した。 []
  2. 1948年(昭和23年) []

コメント

  1. もっち より:

    時々のぞかせてもらっています。
    いいもの見せてもらいました!

    私の所属してるペン字の会でも古典の臨書課題があります。
    昔の人もこんな風に練習してたかとおもうと、感慨深いです。

    ちなみに筆記具ですが、つけペンがお勧めです。
    慣れるまでは大変かもしれませんが、太い細いが出しやすいです。

    私が書写検定を受けたときは、つけペンを使用した記憶があります。

  2. うたuta より:

    ありがとうございます。
    ペンを使っての臨書はちょっと難しそうにも思いますが、時代を問わず有用な練習法なのでしょうね。
    つけペンは慣れるまでインクの出具合が調整できず、四苦八苦した覚えがあります。
    またいつか使ってみたい筆記具です。