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ペン習字を10年続けて思うコト 「始めて良かった出来事」編

2005年の1月からペン習字を習い始め、今月でちょうど10年が経ちました。

振り返ってみれば、あっという間に過ぎ去った日々でした。とはいっても、やったコトといえば毎月の〆切に合わせて課題を投函してきただけです。

真面目な受講生ではなかったので、練習する時間もまばらで〆切間際になって作品を仕上げるときもたびたびありました。

それでも通信教育という学習環境が合っていたせいか、自分の歩幅で今まで継続することができました。

これまでの10年間を通してペン習字に対する私なりの考えをまとめておきます。

初回はペン習字を始めてよかった出来事について。

第1回
ペン習字を10年続けて思うコト 「始めて良かった出来事」編
第2回
ペン習字を10年続けて思うコト 「些細な悩み」編
第3回
ペン習字を10年続けて思うコト 「上達のコツ」編

ペン習字を続けてよかったコト

長くなるので3つだけにしておきます。

どんな場面においても臆することなく字が書けるようになった

のし書きやお礼状といった相手ありきの場面では、丁寧に書けば読みやすさを反映した文字が書けるようになりました。

ペン習字を始めた動機でもある「ミミズが這ったような字との決別」が成就したのが、この習い事を続けてよかったいちばんの出来事です。

以前の悪筆は書こうと思えば簡単に再現できます。頭でイメージするそれぞれの文字をペン習字の手本で上書きし続けた結果、悪筆を封印できた、というのが実際の所感です。

また、自分でも何と書いてあるのか判別できなかったメモ書きでは、部首を簡略化できる行書を用いることで話すように書いても一定の可読性を保てるようになりました。

ペン習字を習ったことで字が生まれ変わったというよりは、TPO(時・場所・場合)に応じて字体の書き分けが出来るようになったのがイメージしていた世界とは異なる点です。

「速書き」と「丁寧さ」どちらを重視するかによって楷書と行書の出番が変わりますし、ゆっくり丁寧に書くほど字形と配字の完成度は上がり、速書きするほど筆致は乱れやすくなります。

就活でペン習字が役に立ったとき

手に職を付けたいという安易な理由で無謀にも未経験の仕事に応募したことがあります。

興味半分で応募したこともあって反応はそれほど期待していなかったのですが、運良く書類選考が通って面接までこぎつけることが出来ました。

最終選考は老年の男性(当時の社長)との面接でした。自己紹介や職務経歴について確認されたあと、履歴書に目をやりながら「字が上手いようだけど何か習っていたの?」と聞かれ、通信教育でペン習字を習っている旨を伝えると得心した様子で深くうなずき、その後の受け答えに対する反応がやたら好感触だったのを今でも憶えています。

後日、内定の連絡をいただいたときは半信半疑で話をお受けし、ふと「まさかペン習字のご利益では」との思いが頭をよぎりました。

ネット上では「字が綺麗だからといって採用に結びつくことはあり得ず、単なる判断材料の一つにしか過ぎない」というのが大方の意見であり、私も文字の美しさだけで「この人と一緒に仕事をしたい」とは思えず、直接的な合否とは無関係だと考えます。

ただ、丁寧に書いた文字の痕跡は「とりあえず一度会ってみたい」と思わせるきっかけ作りには作用すると思います。

言ってしまえば、たったそれだけのことですが、その分野での実務経験が皆無で、人間性とやる気しかアピールできるものがないとしたら、「丁寧に書いた文字」は頼れる戦力になります。筆跡に熱意やひたむきさが宿り、読む側の目に留まりやすいのがペン習字がもつ効能なのではと私は思います。

「文字は人なり」を重要視する面接官にあたればそれはひとつのチャンスですし、相手の好感を自ら引き出したという捉え方もできます。

文字が人に与える印象はあながち軽視できないと思った体験でした。

ひとつ趣味が増えたこと

「人間、生まれ持った得手不得手があるのだから、苦手なことより得意な方面で長所を磨いた方が良い」といった信条をかつては持っていました。

ですから、自分のコンプレックスと向き合うペン習字に取り組むこと自体が不本意でしたし、なにより苦痛でした。

自分を責め立てながらそれを自発的に取り組むなんて食事制限するダイエットと同じで、よほどの根性がない限り続かないものです。衝動的に始めたボールペン字講座は最初の勢いもどこへやら、間もなく挫折したのは言わずもがなでした。

ただ、ペン習字とは不可解なもので、ちょっとずつ上手くなっているのが後になって分かるものです。1冊目の練習帳に書き込んだ筆跡とはまるで別人とまではいかないものの、小さな変化が自分の中で起こっているのは自覚できました。

もう少しだけ続けてみようと考えを改めてからは、とにかく淡々と続けることだけを考えました。

ペン習字がどうやらおもしろい習い事であると気づいたのはそれから数年も先のことです。「世の中、出来るようになって好きになることもあるのだな」と肌で感じたのはこれまでの価値観が一変するほど大きな出来事で、ペン習字を通してとても良い経験をさせてもらったと今でもよく思います。

当時と現在の筆跡を比べたら、自筆が劇的に変化しているのは確かです。しかしそれも1ヶ月単位でみれば、本当に些細な変化でした。これまでの道のりを一言でまとめるなら「小さな上達の積み重ね」に尽きます。

私の場合、「単に続けた」だけで、資格らしいものは何一つ持っていません。

硬筆書写検定の1級に挑戦し続けた時期もありましたが、身の程を知ってからは日ペンで基礎からやり直しつつ、今年になってようやく師範位の取得が視野に入ってきたところです。

人から見れば「ぱっとしない器量でよくもまあ」と思われるかもしれません。私自身も「10年続けてもこんなものか」と感じています。

それでも私なりの歩幅でこの先も同じように小さな変化を積み重ねたら再び10年後にどんな結果が待っているのだろう、と思うと少し胸が高鳴ります。

そんなふわふわした期待感を抱きながら、この先も郵便ポストにペン習字の課題を投函し続けるのだろうと思います。

コメント

  1. 上杉 清晴 より:

    大変感動しましたし 私も現在進行形です。