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ペン習字の「離」について思い直した話

以前、ペン習字における「守破離」について、分かったようなことをブログに書いたのですが、「離」だけはどうもしっくり来ませんでした。

一般的に「離」とは、”型から離れて自由になり、新しいものを作り上げる”とかそんな意味合いになるんですけど、個人の手習いにしては、どうもスケールが大きすぎるぞと。

なので当時は、”手本と向き合って何万回と書き続けた結果あらわれる、手本との誤差”を一応の答えとしていました。

昨日の今日になって「離」の答えらしきものが唐突によぎったので、忘れないうちにまとめておきます。

ちなみに、

ペン習字の「守」
理屈を抜きに忠実に真似ること。
ペン習字の「破」
他流を学び本流を見つめ直すこと。

として捉えています(あくまで個人の解釈です)。

ペン習字における「離」とは

「離」とは、“どんなに足掻いたところで手本と同じようには書けないのだから、いい加減に離れることを知りなさい”ということなのだと思います。

“手本に執着しているうちは、手本通りには書けない”とでも言いましょうか、「精密に書写する努力を怠らなければ、いつかきっと手本の型がそのまま身につき、息をするように手本通りに書ける日がやって来る」と信じていたのに、どうやらこの考えはピントを外しているらしいと、あるとき気付いたのです。

食品サンプル業界歴29年の職人さんが言ってたこと

TV番組、タモリ倶楽で「自由すぎる食品サンプル」1という回があり、番組後半で興味深いシーンがありました。

食品サンプル業界最大手の企業内では、45年以上にわたって「食品サンプル製作技術コンクール」が行われてきた。

表向きには技術の開発や向上を目的としているこのコンクールは、普段注文が来た商品のサンプルばかり作っている職人が自らの技術を結集し、“本当に作りたいもの”を作る貴重な場になっているという。

「タモリ倶楽部」自由すぎる食品サンプル鑑賞 – Yahoo!ニュース

社内コンクールのために制作した「本当に作りたかった食品サンプル」が続々と登場する中、番組最後に登場した職人歴29年の方が「似せれば似せるほど、(本物と)比べたときに似なくなってしまう」と仰っていたんですね。

結局のところ本物には勝てない、だったら頭の中にあるものを表現しようということで、「トマトが破裂する瞬間」を制作して、工場長が締めの一言に「これからも奇をてらわずに良い物を作り上げていきたい」とコメントして思わず笑ったのですが。

それにしても、一意専心で技術を培い、社内一のベテランと評されている人が、本物に近づくことはできても同じようには出来ない、と悟りにも近い考えを抱くのって感慨深いと思うのですよ。

シズル感を出したいからといって、本物から逸脱した表現を加えるのはご法度でしょうし、見本に近づけるために創意工夫を凝らす点はペン習字と似ているなぁと。

「守」を貫くのは難しく、息苦しい

私程度の経験で「手本と同じように書くのは無理だ」と悟るのは、単なる思い上がりで練習不足に過ぎないかもしれません。

私がこれだと信じてきた練習法は、偏と旁の位置関係を暗記したり、線そのものを座標になぞらえて見る、といったまさに手本通りに書くための方法でした。

しかし、自運する(手本なしで書く)際にもこれらの方法が使えるかというと、個人的には限界があると思い始めています。

正確には「出来ないことはないけれど、ひとつの正解がある限り、足らない点が少しでもあれば、書いたものが正解にならない」という意味で手本に近づく難しさがあり、このギャップを埋めるには途方もない労力が必要と思い知りました。

見たものを写真のように記憶する映像記憶が備わっていれば造作もないことでしょうが、手持ちのカードにそんな能力は見当たらず。

そのため、文字を形として覚えるのではなく、手本が辿る線を座標として暗記する方法に行き着いたわけですが、この方法だと80点を取るまでは比較的容易にしても、残りの20点を底上げするのにどれほどの時間を注ぎ込めばいいのか見当がつきません。

私としては、食品サンプルの制作と同じように、発注者(読み手)に喜んでもらえる仕上がりだったら、そこに自分らしさを含める必要はないと割りと本気で思っていて、手本の型を写し身とすべくこれまで努めてきましたが、それはどうやら無理らしいと諦めがついたのは、回り道したにしても良い経験になりました。

(ここまでは「守」の話)

書くのが楽しくなる「破」

他の方向性について模索してみると、いわゆる六度法にあるような字形の矯正術を自分なりの感覚でもって導き出す方法があります。

こちらはこちらで、自身の感覚に基いて美しさを定義するという、困難な道のりであることには変わりないのですが、他流派の手本を参考にしながら書いてみると「ああ、こういう書き方もあるよね、あってもいいんだね」といった知る喜びがあります。

このような許容範囲を知る楽しさは、ひとつの型を熟知する「守」の段階を踏んでいるから分かる感覚でもあって、他流を学ぶ「破」の旨味はここにあるのではないかと思います。

軸となるひとつの基準を知っておけば、どのくらい逸脱しても仕損じないのか、他流と調和を測るバランス配分を自分の感覚である程度は判断できます。

書き方の良し悪しについて自信が持てるようになったとき、初めて手本から離れて書けるようになるのかなと、最近になって思うようになりました。

その点でいうと、ひとつの課題文に対して4つの書きぶりを把握できるパイロットペン習字は貴重な存在でもあり、たまには他の字典を眺めてみるのも良い経験になります。

参考リンク)【パイロット】課題研究:初心者昇級への道 @Sai -手書きの時代-

(ここまでは「破」の話)

手本から離れる怖さについて

なぜこうも手本の型に固執するのか考えてみると、「仮に手本通りに書けなかったとしても、それが正しいかどうかは、今まで培った知識・経験でもって自分が決める」といった確信を持てなかったからだと思います。そのため、手本にすがるしかなく、離れられないと。

手本通りに書ければ「1」、遠ざかるほど 0.9 , 0.8 , 0.7 …と評価は下がるものとして捉える節があると、型から離れた時点で「形無し」という不安が常につきまといます。

たぶんそれは、手本に心酔している人、手本に忠実であろうとする人ほど陥る一種の通過儀礼ともいえ、「自分らしさが消えるかもしれない」一抹の不安を感じながらも書写スキルの向上を図る人は、存外多いように感じます。

金太郎飴にはなりたくない、けれど倣うしかないジレンマ

似たような問題として、日ペンを習い続けると、皆が皆、同じ書きぶりになってしまうことを危惧する人は、かなりの数でいらっしゃるのではないかと思います。

これまでの内容を踏まえて私なりの考えを述べてみますと、

確かに、『ペンの光』は、他の競書誌と比べてひとつの型(三上流)を第一義とする風潮があり、「参考手本にとらわれず表現してもよい」と備考欄にはあるものの、出品される作品は手本に限りなく近い書きぶりがほとんどです。2

しかし、競書という枠組みからいちど外れてしまえば、どのように書こうがそれはもう個人の自由です。

けれど、ひとつの流派しか知らない以上、きれいに書こうと思ったら日ペン風となってしまうのは何ら不思議なことではなく、

むしろ、何の気なしに書いても定まる書きぶりは、「厳格な形臨によって、確かな書写力(見る力と再現する力)は身についているのだから、そこからは自助努力で他流派なり古典を研究して視野を広げてください」と言わんとしているようでもあり、日ペンは「守」の段階を強固にしてもらえる場所として捉えると、私の中では合点がいきます。

「守」と「破」の段階を経て、手本から離れてみた結果、より手本らしくなるのも一つの道理でしょうし、他流派の特徴を取り入れて筆致が徐々に変化していくのも自然の流れであり、どの辺りに着地するかは自分の取り組み方次第だとすれば、ペン習字とはなかなか面白い習い事だと思いませんか。

あとがき

直近の添削では、「少しくらい形が崩れてもいいから、もっと活き活きと書いてみては」とパイロットペン習字の先生から半ば呆れコメントまでいただく始末で、その度に「手本から離れたら私には何も残らない」そんな不安がありました。

今回、かねてからのモヤモヤを整理してみたことで、「型通りに書けなければ即減点」とする考えから「評価軸はもっと柔軟に、加点する要素は他から持ってきてもいいんじゃないの?」3と思えるようになったのは、少し気が楽になったような気がします。

心持ちが変わったからといって、目に見える変化は特になく、今後も競書の締切に追われながら粛々と続けていきたいと思います。4

  1. 2016年5月20日放送分 []
  2. 私としては、日ペンは形臨に比重を置く団体と認識しています。 []
  3. その評価軸とやらを自分で見つけるのがとりわけ困難であるにしても []
  4. 締切のおかげで今があると言ってもいいほど、細々とした区切りはとても大切。 []

コメント

  1. フラウチョーノ より:

    初めてコメントいたします。
    私事ですが、今年度第一回硬筆書写検定で準1級に合格することが出来ました\(^o^)/
    受験前にこちらのサイトの対策を読ませて頂き、楷行草の下準備や掲示文のコピックのこと、理論問題などとても参考になり試験に活かすことが出来ました。
    一言御礼を申し上げたく書込みしました。
    ありがとうございます。

    ペン字歴は4年、パイロット(4年目)とペンの光(3年目)に最近ペンの力も始めてしまいました。独学ですが通信の魅力にどっぷりハマっています。

    これからもこちらの有益な情報発信を楽しみにしています!

  2. うたuta より:

    >>フラウチョーノさん

    この度は硬筆書写検定、準1級合格おめでとうございます。

    2,3級の受検対策として用意したコンテンツでしたが、まさか準1級の合格報告までいただけるとは思っておらず、こちらも嬉しい気持ちです。
    普段の練習にも相当な熱が入っているご様子で、弛まぬ努力の成果ですね。
    本当におめでとうございます。

    下準備系のコツは会場によっては使えない場合もあるそうで、
    フラウチョーノさんの受検会場ではそういった注意点はなかったでしょうか。
    その辺のトラブルがないか少し心配です。

    上位級を取得した方は、東京や大阪の講習会にも参加してみると、より密な情報が得られることと思います。
    この調子でどうぞこれからもご健筆ください。
    応援しております。

  3. フラウチョーノ より:

    うたさん

    コメントありがとうございました(^o^)

    私の受験した会場は受験生が5,6人と少なく、全員揃ったからと開始時間が15分繰上げでしたよ。(駐車場代に優しく心理的に厳しい対応(^_^;))

    特に一般的事項以外の注意点などは言われませんでした。

    今回から準一級の試験問題の出題形式が変更になりました。
    旧字体と書写体の問題が書くから読む(2級の問題と同じ)になりハードルが下がったので、こちらのサイトは本当に解りやすく試験対策に助かりましたよ(^^)

  4. うたuta より:

    >>フラウチョーノさん

    「下書きに関することは一切禁止」といった注意はなかったのですね。少し安心しました。
    試験開始時間の対応も含めて、この辺は試験官の裁量に左右されるのでしょうね。

    旧字体・書写体の問題は、2級と同じ出題形式になったのですか。
    そうすると、理論問題の対策ページと通じる部分が少し増えますね。
    今後も少しずつ手を加えていこうと思います。

    こちらこそ、色々な気付きを与えていただきありがとうございました。

  5. 漢検2級学習中 より:

    先日、漢検についてコメントを入れたものです。
    私は、小学生のころだけ、毛筆を習っていたので、それで思いついたのが…
    「教わったことを守りながら、伸び伸びと書く」というのは、大人より小さいお子さんのほうがずっと上手かもしれない、ということです。
    子どもに戻った気持ちで書いてみたら、案外うまくいくかも?と思いました。
    素人考えですし、ご参考になるかわかりませんが…

  6. うたuta より:

    >>漢検2級学習中さん
    コメントありがとうございます。

    おっしゃる通りで伸び伸びと書く気持ちはとても重要だと思います。
    特に楽しむ視点が私には欠けていて、ペン習字とは一種の辛い修行のように捉えていました。

    それでも最近は、楽しみながら取り組んだほうが何かと成長が早いことに気づきまして、
    就寝前に枕元でまどろみながら「今日も良い練習ができたなぁ」と反芻する日々が続くようにと心がけています。

    この記事の投稿日から、たかだか半年で目立った変化こそないかもしれませんが、
    いつか伸び伸びと書ける日がくるように、生涯学習のつもりで細く長く続けていければと考えています。