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Q&A式 補足説明 – 4つのステップできちんと書けるペン習字練習法 

本編では触れなかった細かな疑問や悩みについて補足説明を入れておきます。

正確に書写するほど線がガタガタになってしまう

書写中の目線は、ペンを持つ手元と手本を絶えず交互に移動します。その最中で線質にも気を配るのは、なかなか難しいです。

特に始めのうちは、字形にとらわれるほど線質はおろそかになってしまうものです。

まずは、ペン習字の本分である「文字を正しく書くこと」を第一義としてください。美しい線は後からついてきます。

書き慣れるほど心にゆとりが出てきますから、その際は線質も含めてよく観察し、再現できるよう努めてください。

自己添削がうまく出来ない

先生のように的確に注釈を入れるのは、いかんせん無理な話です。それでも、理想とする線を上書きして字形の乱れを認識するくらいでしたら、そのハードルはうんと下がります。自主学習においては、ちょっとした気付きの積み重ねが大切になってきます。

理想とする書きぶりを山の頂のゴールとするなら、自己添削は頂上に近づくための作戦会議みたいなものです。

添削するといっても、基本は手本と自分の書きぶりの間違い探しです。あまり難しく考えず、間違いに気付けたらラッキー程度に捉えてください。

どのみち先生からの添削指導は必須ですから、どう頑張っても上手く書けないと感じたら、潔く第三者の視点でチェックしてもらいましょう。

自運は自分の思った通りに書いていいの?

半分正解で半分違います。

自己運筆は、守・破・離の教えのうち、「離」にあたり、「今までの鍛錬の集大成として独自の型を築くこと」といった意味合いがあります。

この場合、「離」の教えをどう解釈するかが焦点になってきますが、私自身は、たとえ自在に書くとしても「型の上に立脚した技術でなければならない」と考えています。

基本の型となる「守」が身に付くと、今の力量で出来ること・出来ないことの分別がつき、型から自由になる難しさを知るはずです。

「守」から「離」に一足飛びする前に「破」を間に置き、古筆や他流についても学習してみると、自分の型についてより深く理解でき、自運の捉え方にも奥行きが出てきます。

自運になると途端に下手になって苦痛です

原因は2つあると思います。

1つは、単純に書き込む量が足りないこと。数稽古をこなさない限り、脳と指先の神経回路が繋がることはありませんので、地道な基礎練習を繰り返すことが大切になってきます。

もう1つは、意識の転換が出来ていないこと。自運のコツは、手本を臨書する延長線上にしかない、というのが私の持論です。

自運する間際で書けないと悩むのではなく、手本を書写する段階から、どうしたら手本なしでも同じように再現できるかを考えます。

2つ目のステップ「手本を見ながら真似る」では、「マス内を16分割して点画を座標として捉える方法」と、「線同士の位置関係から字形の特徴を探る方法」を紹介しました。同じ書写作業でも、結果に至るまでのプロセスが少し異なります。

後者である「線同士の位置関係から字形の特徴を探り、書写する方法」は、自運との相性が良いように私は思います。これはペン字教本のハウツー本と似通った字形の捉え方でもあります。

「書写で培った作法をそのまま自運に持ち越す」と表現すれば分かりやすいでしょうか。

たゆまぬ書写の反復によって新しい感覚が芽ばえ、自動的に手本なしでも書けるようになる、というよりは、持ち合わせの感覚をより洗練させて使いこなすといった感じです(あくまで私の場合ですが)。

自運、自運っていうけど書写が上手くなるだけでも十分なのでは?

たしかに手本の書写を繰り返すだけでもペン習字は上達が可能です。競書誌によっては、自運せずとも高段位を取得できますし、臨書経験が豊富な人ほど、誌面上では成績の上位に食い込みやすいです。

読みやすい字は相手へのおもてなしと言います。その機会は、時と場所を選ばず突然やってきます。なのに、手本が手元にないとまごつくようであっては、せっかく身につけた技術を活かせずじまいで、これでは非常にもったいないです。

実生活におけるさまざまな手書き場面をそつなくこなし、手本なしでも手本のように書ける技術には希少価値がある、といった観点から自運の必要性をお伝えしています。